デザイナーにとって感性とデータはどちらを優先すべきなのか?

デザイナーにとって感性とデータはどちらを優先すべきなのか?

求められる条件に対して、最善の表現手段でアイデアを具現化することが“デザイナーの仕事”であるとすれば、最終的に最良の結果が得られなかった場合には、生み出した「デザイン成果物としての価値は低いもの」であったという評価になってしまうのか?

例えば、ここにひとつの商品があるとします。その商品の売れ行きが思うように伸びないとした場合、いくら優れたデザイン性を兼ね備えていたとしても、そのデザイン的価値は低く、評価に値しないものになってしまうのか?それとは反対に、ごくありきたりなデザインの商品であっても、売上が伸びてヒット商品ともなればデザイン的価値においても優れていることになるのだろうか?

デザインという分野で仕事をさせていただいていると、嫌でもそのような議論に出くわすことが多くあれ少なかれあります。

また、WEB制作に携わっていると、「デザイン性は要らないので、とにかく目立つバナー画像を作ってください。今日中にアップして!」というように、押し迫った期日の中で、デザイン的要素を一切求められない作業依頼が、降りかかってくることもザラとあります。

クライアントが求めているクリック数のアップが依頼の発端ですが、「クリック数を上げる=目立たせる」は、一概にイコールではないなんてことは、どんなデザイナーだろうと知っています。可能な限り、クライアントの要望に応じたいという責務と、自信を持って提案できるデザインを生み出したいというアイデンティティの狭間に生まれるジレンマが、デザイナーにつきまとってくるのは避けられない現実でもあるのでしょう。

そもそも、そのような状況で「優れたデザインを生み出す必要性は何故なのか?」を、明確かつ端的に説明できる人は極わずかではないでしょうか。。。

感性なのか数値データなのか?

WEBサイトを運営していると、クリック率、コンバージョン率など、ユーザーからのアクセスに対する様々なデータを集めることができますが、その中で統計結果に反映されにくいデザイン性の存在価値は、どう判断すれば良いのでしょうか。

逆に直感的要素も感性もデザイン性も一向にないものであっても、数値データとして結果が出ているものは、デザイン価値が高いことに違いない。という考え方は、本当に正しいことなのだろうか?

ビジネスの世界において、数字によるデータは、絶対的指標であることに違いありません。感覚や感性などのように、曖昧な要素は一切排除して数値結果を比較分析し、判断・選択・決断していくのは当たり前のことでもあります。そもそも、より良い結果を得るために統計を取り、比較・検討しているので、数字こそ第一の判断要素になるのは極自然なことだとも言えるでしょう。

しかしながら、「データがすべて」という考えでデザインを決定していくこともまた、それはそれで危険を伴います。「何よりも目立つようなバナー広告を!」「インパクトある印象を与えるサムネイル画像を!」などと、強調することに重きを置きすぎて、全体のバランスを無視してしまえば、デザイン性は損なわれてしまい、閲覧しているユーザーも離れていくのも時間の問題です。

また、企業サイト・ECサイトを運営している場合など、「お問い合わせ」を増やしたいという要求において、一般的に「ボタンを赤くする」とコンバージョン率が高くなる傾向があると言われています。しかしながら、WEBサイト全体が淡いパステルカラーでデザインされていたりする場合、目立つ場所に真っ赤な「お問い合わせボタン」が配置されていれば、違和感を感じたり、サイト全体の統一感を著しく壊してしまう可能性があります。

このようなことからも、データがすべてと決めつけてしまうことは、絶対的に正しいとは言えなくなってきます。

デザインセンスは天性か?努力か?

芸術家について語られるとき、「彼らは生まれながらの天才だから・・・」などと言っては柵を作り、安全なこちら側で爪を噛んでいることを正当化しようとする人たちもいます。

感性は人間の持つ「第六感」と言われたりもすることもしばしばありますが、それはあくまでひとつの考え方でしかありません。逆に言えば、感性を持っている人が、すべて長けたデザインセンス持ってますか?新しい発想を生み出していますか?もちろん生まれながらに得意とすることが多い人や・不得意なことばかりな人もいます。しかしながら、子供の頃から大きく成長する過程の中で、様々なことに注意を払い・好奇心を持ち、意識をすることの積み重ねにより、新たに気づくことや、感性を磨くことはできます。

 ここで興味深い話をご紹介します。

あの有名なピカソにまつわるエピソードですが、ピカソが絵を描いて欲しいと頼まれたとき、ササっと5分で描き上げたそうです。依頼者は「その絵のお代はいくら?」と聞くと、$5000ドル(約60万円)と答えたそうです。依頼者は、値段を聞いて驚愕し、「たった5分で描いた絵が何故そんなに高いんだ!」と憤慨。それに対してピカソは次のように答えたそうです。「5分で描いたんじゃない。5分+この絵を描けるまでに、生まれてからの数十年かかっているんだ。」このようなエピソードからもわかるように、ピカソでさえも、子供の頃から長い年月、感性を磨くことに対しての努力をしています。

デザインとは何か?

デザインについて考えてみると、その原点は目的を果たすための手段であり、デザインはこうあるべきだという概念は存在しないのかもしれません。直感とデータ、両極ともに間違いでもありません。

デザイン性は必要ないので、とにかくクリック数を上げることを目的にしたデザインもひとつ。逆に、数字や結果を全く求めないので、カッコイイものを作って欲しい。という要求に対応するのもデザインのひとつ。そう考えると、一番良くないことは、目的も意味も含まれないで何となく作られたデザインなのかもしれません。

身近な例で考えてみると、高級品を扱うお店でのディスプレイと格安店におけるディスプレイの違いというものがあります。シャネルとドンキホーテを比較してみれば一目瞭然ですが、シャネルは「値段相応に高価な印象を与える」素材や色合い、フォントなど、シンプルな中に高級感を表現したデザインを採用しています。逆にドンキホーテは、「値段がより安く見える」ように表記したり、ごちゃごちゃとした中にメッセージ性を込めた訴求を打ち出しています。

デザイン性という観点で見ると、ドンキホーテの方はカッコイイデザインとは言い難いですが、「商品を安く見せる、手に取りやすくする」というような目的を達成するための手段としてデザインがなされているため、その役割は成されていると言えます。こういった対照的な例においては、どちらのデザイン性が高いのか?などという議論はもはや存在しません。それぞれ目指している方向性が違う中で優劣はあり得ません。

こうして見てみると、デザインと言っても多種多様なとらえ方があり、どれが正解でどれが不正解という解は存在しないことが理解できます。目的を達成するためには、データと直感のバランスを取りながら、最適な見せ方で表現するためのデザインしていくことが何よりも大切になるのでしょう。

そもそも、デザインを仕事としている人にとっては、「そんなことわかっている!」と言われるでしょう。すべてにおいて頭から決め付けずに、その時その時の最善の選択していけるように、日々の努力とデザインの意味をひとつひとつ見つめて、仕事をしていきたいものです。

 

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