我が家には小学生の子どもがいますが、ここのところ、どう教育すればいいのか悩むことが増えてきました。片づけをしない、言ったことをやらない、忘れ物を何度もするなど、注意しても直ることと直らないことがあり、叱るべきなのか褒めるべきなのか、またそのどちらも通用しないということが多くなってきたところもあり、これはおそらく親側に問題があるのでは?と思い本書を手に取りました。『その「一言」が子どもの脳をダメにする、SB新書、成田奈緒子、上岡勇二』
元々、あまり子どもの教育論的な書物は好きではなかったのですが、何かしらのヒントになる考えを知りたくてページを捲りました。親がよかれと思って発する「一言」には様々なものがありますが、わかりやすいもので言えば「あなたのことを思って言ってるんだよ」という類の発言てついついしてしまいますよね・・・。でもこれが良くない。というお話。本書の中でいくつか参考になったものをご紹介していきます。
「褒める」のではなく「認める」
親は子どもが小学生にあがるとテストがはじまり、集団の中での立ち位置という周りの子供どもとの相対的なポジションとして子どもを判断するようになりがちです。テストの成績が何点だったかとか、習字の字が何番目に上手だとか、走るのが遅いとか、体力がないとか・・・子どもの成長や学力をいつしか親のモノサシで測りだすようになっていませんか?
もちろん塾に通わせてテストの成績が良くならない、などほっておけばいいというわけではありませんが、親のすべきことは子どもを「数値で評価する」のではなく、日々の生活の中で子どもの「成長を発見して認める」ことが親の役目ではないでしょうか。
できることなら、親は学校の評価には一切関わらず、家庭生活で必要な「軸」のみを持って子育てをしていくのが理想的です。「軸」とは子どもが生きていく上で本当に必要なことのみ、例えば「嘘をつかない」とか「車や自転車に気を付ける」とか「挨拶をする」とか最低限のことで十分です。そうすることで子どもは、親に評価されることを気にしなくなり自由にさせてもらえば、いつしか子ども自身が他と比較をして努力をしたり、友達と仲良くしたり「子どもなりに考えて行動」しはじめます。それが遅いか早いかというのは子どもによって違いますが、その時を待つしかありません。
その過程で親が「あれはダメ」「こうしなさい」「なんであんなことしたの!」と叱ってしまうことで、より子どもは自分で考えれなくなってしまうのです。成長を待ちながら子どもが何かできたこと、成長したことをきちんと見つけてあげて「認める」ことこそが子どもの脳を育てることにつながります。家庭は「子どもを評価する場であってはならない」のです。
「あなたのことを思って」は子どもを支配する呪文
よかれと思って言う「あなたのために」という上等文句は、子どもからすれば支配されていると感じる可能性があります。自分は「いい子」にならないといけない。「親は自分のために叱ってくれているから守らなければならない」とある意味、強迫観念を抱かせてしまうのです。その結果「起立性調節障害」になってしまう可能性が高くなる。現在では小学生で約5%、中学生で約10%が報告されているそうです。いわゆる「いい子症候群」というもの。
また、親は子どもをどこか自分の「分身」であったり、「所有物」であるかのように心配する傾向があります。しかし、自分が子どもだったころを思い返してみてください。子どもは親と同じではなく、「私は私」「僕は僕」と思っていませんでしたか?子どもも一人の人なのです。親の意見を押し付けるのではなく、子どもの考えを引き出してあげることに力を注ぐべきではないでしょうか?
たくさんの「好き」が人生を豊かにする
将来のために「勉強したほうがいい」というのは正論ですが、それよりも子どもの「今」興味を持つこと、好きなことに注力させてあげることの方が重要です。大人になれば嫌なこともしなければならないですが、そのために子どもの今を使うのではなく、多くの「好きなこと」を見つけて、長い人生で子どもを支えてくれるような「好き」の数を増やしてあげることがきっと子どもの将来には大きな影響を与えることができるのです。「好きなことや趣味が子どもの人生を豊かにしてくれる」と思い、子どもの好きなことに親がもっと目を向けてあげるようにしていきましょう。