トライアスロンなんて全く興味がなかった。
足を怪我して、疲れる・・・とか、面倒くさい・・・とかでは拭えない、純粋な“走りたい”という気持ちが胸の内にあることを知った。
「トライアスロンなんて自分にできるわけがない!」という自信は100%ある。けれど、「やってみたい!」という気持ちもその横にある。この感情は何て呼べばいいのかわからないけれど、きっとそう思う理由なんて大したことじゃない。仮にトライアスロンに出場して完走することができれば、自分の人生に何かしらの良い影響がある気がする!というようなふわっとした理由であるのだけれど、きっとただの自己満足でしかない。ただ、その目標を自分に掲げることで、そのための努力が生まれ、どう自分の生活に影響を及ぼすのかを単純に知りたい。そんなところだろう。「大切なのは「動く勇気」トライアスロンから学ぶ快適人生術、トランスワールドジャパン、白戸太郎」
毎日にワクワクするイベントはありますか?
日々の中で、イベントは仕事しかない。プライベートに特に予定はない。じゃあ何を楽しみに生活しているの?と問われれば、仕事終わりの一杯くらいかな・・・。自分はお酒を飲まないのでその一杯の楽しみもない。でもそれって少しさみしくない?さみしいかどうかはわからないが、物足りないと言えばそうかもしれない。
大人になると、なにかを一から始めることが少なくなる
無理をして興味のないものを始める必要はないと思います。でも、自分でやりたいことを考えて、予定を組み立てて、自主的に何かをはじめることが億劫になってしまって、何もしないことをなんとなく選んだ生活をしているのなら、その億劫さを少し紛らわせてみてもいいのかなと思います。
子どものいる人なら、「親が何かに夢中になって努力をしている姿」を子どもに見てもらうことは、きっと親にとっても子どもにとっても良い影響があるかもしれない。子どもからしたら、親が仕事や家の中での表情とまったく違う、楽しんだり苦しんだりしている姿を見て「大人にも色々な感情がある」ということも理解できるようになる気がします。
走るということ
走る目的は人それぞれですが、自分が走る理由のひとつに頭がスッキリするというのがあります。走っているときってごちゃごちゃ考え事をしたり、独り言をつぶやいていたり、その時の精神状態によって変わってきますが、走り切るころには何かしらの落としどころに向かって思考をまとめだす感覚があります。
トライアスロンともなれば、泳いだり自転車を漕いだりもするので、より刺激が多いことでしょう。周りの雑音から切り離され自分だけの時間が自然と出来上がるので、思考が自分の内側に向けられるのを感じます。つまり自分と少し話をするような時間として走ることは意味があると思います。
走ることは辛いこと。という認識だけで避けてしまうのはなんだかもったいない。楽しむための走ることであり、喜びを感じるための運動として考えてみると、少し違った楽しみ方が見つかるかもしれません。そこに一大決心も勇気もいらない。ただ、玄関の扉を開けて外に出てみればいいだけ。さぁ、何から始めましょうか。