BANKSY(バンクシー)をご存じですか?
2018年にロンドンのサザビーズで起きた「シュレッダー事件」、彼の代表作「Girl With Balloon」が、100万ポンド(1.5億円)で落札された瞬間その事件は起こった。オークションにかけられていた作品が、落札されたと同時に、額縁に仕掛けられた裁断機によって、シュレッダーにかけられたように切り刻まれたのだ。日本でもTVがその様子をニュースとして大きく報道したので、この事件をきかっけに「バンクシー」を知った日本の人も多いことでしょう。
こちらの書籍『BANKSY – LOVE TO THE BROKEN WORLD – 壊れかけた世界に愛を』は、バンクシーというアーティストを、その当時の社会的背景と照らし合わせ解説する内容になっています。
ストリートを基盤にしながらも、イギリスや世界の芸術、美術館や博物館という社会に向けてアートとは何か?誰が定義するのか?覆面アーティストとしてそこに生活をするすべての人に向けメッセージを描いている。今では多くのファンを持ち、肯定的に受け止められているバンクシーだが、まだまだ落書きという表現の価値を認められていない国も社会も多い。日本でも正直「落書き=迷惑行為」という枠を1mmも出ていないだろう。
確かに、そこに描かれた内容やメッセージ性が、ただただ彼のようなグラフィックアーティストの真似事のようなものが多いのも事実。バンクシーのニュースが拡散され、彼の主張する意味を理解し、共感する反面、自分の所有する壁に落書きをされたらほとんどの日本人が怒るだろう。アートの価値は認められるが、表現される場所であったり、許可の有無であったり、様々な制約と感情が絡み合う。アートだから良いとはならない・・・。つまりアートの価値が日本という国においてはそこまで高くないということの表われである。
芸術や美術は教養において必要だ、美術館や博物館などに足を運ぶ人は博識であるという印象を持ちやすい反面、敷居が高く、理解しにくいと感じている人も多い。大衆化されずに一部の人のみで楽しまれ評価されているというのも否めない。そのような矛盾に対してもバンクシーはメッセージを投げている。
彼の作品が良いとか悪いとかではなく、アートとは何か?そんな疑問を考える時間をバンクシーのメッセージとともに考えてみるのも有意義な時間になると思う。
僕らがみるアートは、選ばれた一握りの人が作ったもの。
その小さいグループにいる人たちだけが作ったり、プロモートしたり、買ったり、展示したりする。
そして「アート」の成功って何かを決めるのさ。
世界で、たった数百人の人たちだけが発言権をもっているんだ。
美術館に行く君は、大金持ちのトロフィーのキャビネットをみる、ただのツーリストでしかない。
by BANKSY