夫婦とはどうあるべきか。

愛すること信ずること|三浦綾子

1972年に刊行された本書は、小学校の教師を務め、その後肺結核により13年の療養生活を送られた三浦綾子さんによるエッセイになっていますが、現代でも多くの人の心に響く言葉が綴られています。一度ではなく何度読み返しても味わえるほど、染みる内容になっています。

夫婦とは何か?結婚とは何か?男と女がふたりともに暮らしていく日常における著者の心持ちから学ぶことは多く、参考にすべき器とも言えるでしょう。『愛すること信ずること、講談社文庫、三浦綾子

結婚するとは、その人の過去も未来も、ゆるし受け入れる覚悟がなくてはできないことだと、わたしはつくづく感じ入って、彼と結婚した。

夫婦となり同じ屋根の下暮らし始めれば、自然と見たくないものや知りたくないことまで見えてしまうもの。こんな人だと思わなかった・・・。や、結婚したら相手に対する興味が薄くなった・・・。など、良くも悪くも慣れてしまう関係性になりがちなのは否めない。だが、夫婦と言えども他人なのだ。すべてを理解し共感しないといけないということではないはずで、意見がぶつかることもあるだろうし、価値観がずれることもあるだろう、それをすべて同じ目線や熱量で、同じ好みで、同じ答えでなければならないというのは難しいことである。

間違いもするし、機嫌が悪い時もある、それは人だから仕方のないことと思えば、お互いの違いや意見の相違にも否定ではなく共感できるようになるのではないだろうか。相手は自分のものではないし、自分ではないのだから。

たとえ正しくても、相手をなぐったり、傷つけたりしては、もはや正しいという立場に立っていないことは自明である。家庭は裁判所ではないのだ。どちらが正しいか、というよりも、更に大切なことがある。

夫婦喧嘩は悪いことではないと思うし、お互いの意見をきちんと相手に伝えることは必要なことである。だが、あっちが正しいこっちは間違ってないと、どちらが正義なのか?という議論は不要だ。結局のところ、自分が正しいという結論に至ったところで解決にはならない。それよりも重要なことは、ふたりがどうしたいのか?を理解することである。

夫婦がお互いの悪口を言うのは、大いなる裏切り行為だとわたしは頑固に信じこんでいる。

本人に意見を伝えることは大切なこと。だが、本人がいないところで相手の悪口を言ってスッキリするのはおすすめしない。結局のところ悪口を第三者に吐き出したところで本人との関係が良くなるわけではないからだ。ついつい文句を言ってしまう人はきっと多いけれど、夫婦にとっては何も良いことはない。逆に、漏れ伝って本人に知られた時に大き信用をなくすだろう。